”アフリカの農家さんが、自らの志に向かって生きていける世界”を目指している、綿貫大地です。
今回は、私自身のこれまでの経歴と今後について、書いていきます。
Contents
これまでの経歴
私のこれまでの経歴を簡単に振り返ると。
高校時代に国際協力という世界を知る ⇩ 日韓ワールドカップでアフリカに興味を持つ ⇩ 大学を休学してザンビアでボランティア活動をする ⇩ イギリスのサセックス大学院で開発学修士号取得する ⇩ 民間企業(商用車メーカー→化学メーカー)で6年間働く ⇩ JICA海外協力隊のコミュニティ開発隊員としてベナン赴任 ⇩ ベナンで飲食店(パン屋&カレー屋)の立ち上げ&経営に携わる
アフリカに飛び出すまで
ここからはさらに詳しく書いていきますね。
高校までは特に海外志向はなく、両親が教師だったので、何となく自分も教師になるのかなと考えていました。何かにのめり込むというタイプではなく、どこにでもいる平凡な学生だっと思います。
ただ今思うと、とても両親に感謝していることがあって、それは小さい頃から1年に1回は家族旅行に連れて行ってくれたことです。おそらく北海道以外の46都道県に家族で訪れたと思います。これは、知らない土地をこの目で見たいという欲求を持つようになったことに、後々つながっているかもしません。
国連を目指すという高校の先輩がいたことをきっかけに、国際協力の世界を知りました。そして日韓ワールドカップでアフリカの選手がとても楽しそうにプレーするのを見て、アフリカに興味を持ちます。
大学生の間に留学もしてみたい&実際に国際協力の道でやっていけるのか自分を試してみたい、という想いを抱いていたところ、アフリカでボランティアできるNGOをたまたまネットで見つけて、応募することに。
昔から、「これだ!」と決断するととても早い行動力を発揮できたので、この時も決めてからすぐに大学を休学をして、アフリカに行くための準備をしました。
ザンビアでのボランティア活動
あるNGOのプログラムに参加するという形で、念願のアフリカ行きの切符を手に入れたわけですが、ザンビアという国で私がやっていたのは、中学校での数学の先生と小学校での衛生やHIV-AIDS基礎知識の普及活動でした。
このザンビアでのボランティア活動で強く感じたことが3つあります。
やっぱり楽しい。もちろん不便だし、活動でうまくいかないことや、騙されたこともありましたが、それでもザンビア人のノリが楽しくて、貧しいながらもどこか活気があるアフリカにすっかり魅了されました。何より楽しいんです、アフリカでの生活が。
自分に対する無力感。アフリカに興味があるだけの大学生だった私は、観光ではなくボランティアという立場で来ているのに、まだまだスキルも知識を不足しすぎていると痛感しました。活動を終えるころには、「正直何もできなかった、自分は何のためにここにいるのだろう」という気持ちでいっぱいでした。
援助が生む上下関係への疑問。彼らの生活の中に溶け込むと、こんな感覚に陥る瞬間がありました。どこの大学出身だとか、どこの国出身だとか、どのくらいお金を持っているだとか、そんなことよりも「人間・綿貫大地」として目の前の人間と対峙している感覚。でも、いろいろな指標をここに持ち出すと、明らかに私が上で彼らが下という関係性がぼやけて見えてくる。なぜなら、私は援助する側で彼らは援助される側だから。別に大して貢献できていないのに、生活する上では彼らに助けてもらうことの方が多いのに、援助はなぜこのような上下関係を生み出し壁となって立ちはだかるのか、そこにとても大きな疑問を感じました。
*詳細を知りたい方はこちらの記事をどうぞ
大学院そして民間企業で勤務
国連かJICAで働く国際協力のプロフェッショナルになりたいと考えていた私は、国連で働くためには海外の大学院での修士号が必要という情報を得て、その勢いのまま大学院に進むことになります。
参加型開発で有名なロバートチェンバースが在籍するイギリスの大学院に入学しました。開発学という分野では世界のトップクラスで、あらゆる国から集まったクラスメイトがいるこの環境は、開発学を学ぶ上で最高の環境だったと思います。ただ私は、課題に追われる日々で授業についていくのに必死で、あまりいい思い出はありませんが、なんとか修士号を取得。
第一志望だったJICAから内定をもらうことができませんでしたが、グローバル企業でアフリカともつながりがある商用車メーカーに入社。そこで3年半働いたのち、アフリカにより府価格関わるために、その当時からアフリカに進出していた化学メーカーに転職しました。
転職した会社でもアフリカに行ける道を模索していましたが、当時通っていたグロービス経営大学院の仲間の活躍に焦ったこともあり、できるだけ早くアフリカに行ける方法はないか考えるようになりました。そこで、たまたま見かけたJICA海外協力隊のポスター、募集締め切り間近でしたが、確実に合格するためにできる限りのことをやって、またアフリカに行けることに。
*詳細を知りたい方はこちらの記事をどうぞ
JICA協力隊でベナンに舞い戻る
活動の詳細やベナンでの生活は他の記事に書いてあるとおりです。日本でいうJAのような組織に配属され、野菜農家グループの収入向上プロジェクトを推進していました。また、障がい者グループとも活動して、彼らのマイクロファイナンスを利用した養殖プロジェクトをサポートしていました。
協力隊参加前から2年間終わったら現地で起業しようと考えていて、活動以外の時間は、起業準備に当てていました。本業である活動も、農家さん&障がい者グループのみんなのおかげで成功することができ、満足のいく2年間になりました。
ベナン現地で飲食店経営に携わる
2年間の協力隊活動が終わって、日本に一時帰国しましたが、すぐにベナンに戻り、日本人のパートナーとパン屋の事業継承&経営に携わりました。現地での会社設立やベナン人を雇用するという経験は初めてだったので戸惑うことやストレスがかかることも多かったのですが、とてもいい経験をさせてもらいました。
そして、カレー屋さんの現地法人設立&オープン準備にも従事。ここでも人材集め・会社設立・原材料の輸入手続き・物件探しから内装工事まで初めてのことばかりでしたが、何とかオープンまでもっていくことができました。
パン屋さんとカレー屋さんでの経験は改めて別の記事にしたいと思います。
2021年新たな挑戦へ
2020年の4月にコロナの影響で日本への帰国を余儀なくされました。帰国してからは、どこかもどかしく常に焦るような気持ちで過ごすことが多かったのですが、この機をチャンスと捉え、ずっとやりたかった農業関連のビジネス立ち上げの準備をしています。
ビジネスモデルはまだ固まっていませんが、ベナン×農業チームというタイトルのチームを組んで、いろいろな方々に協力してもらいながら、また農業流通の会社でバイトさせてもらいながら、時々そこで知り合った農家さんの農作業を手伝いながら、2021年3月の会社設立に向けて準備しています。
下記は2019年9月のTwitter投稿です。協力隊としての現地での最後の活動が終わり、野菜農家グループのリーダーと写真です、彼への感謝の気持ちと彼と一緒に事業をするという誓いの意味を込めました。
今日の活動で、2年間の現地での活動は終わり。
隣はお世話になりっぱなしだった、野菜グループのリーダー。
すぐに戻ってきて、彼と会社を興す予定。
今度は自分が恩返しする番!!! pic.twitter.com/Y4Y6JtfOJ3
— だいち@ベナン🇧🇯~一時帰国中~ (@daichiwatanuki) September 18, 2019
この投稿から1年以上かかってしましましたが、2021年遂に第一歩を踏み出す予定です。この農業関連ビジネスについての記事も今後ブログで更新していきますね。
最後まで読んでくださりありがとうございました。私がメインで使っているSNSはTwitter(@daichiwatanuki)とFacebook(Daichi Watanukiですので、何かあればDMいただければ嬉しいです。
綿貫大地が掲載されている記事
- 青年海外協力隊・綿貫大地氏の決意「必ずアフリカにプロフェッショナルとして戻ってくる」――グロービス公認クラブ「アフリカ部」 イベントレポート①
- アフリカ好きによるアフリカ総合情報サイト ALL ABOUT AFRICA 『ビジネスでアフリカに貢献する~35歳JICAボランティアのベナン起業日記①~』
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綿貫大地
1983年生まれ。千葉県成田市出身。
大学在学中にザンビアで半年間ボランティアをするNGOのプログラムに参加。
埼玉大学経済学部卒業後、サセックス大学開発学研究所(IDS)で開発学修士号取得。
大手商用車メーカーにて3年半勤務したのち、大阪の化学メーカーに2年半勤務。
2017年10月から2019年9月まで西アフリカのベナンで、青年海外協力隊隊員として活動。
JICA SHEPプロジェクトを用い、野菜農家グループの収入向上に貢献。
2019年10月からベナンの飲食店経営に従事し、現在はベナンの農業関連会社の起業準備中。
”だれもが志を持って生ける世界の創造”というビジョンを胸に日々活動中。
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