両親が来てくれた最終編です。
いちお、前回記事も載せておきますね。
5日目
この日は大学生のゆきちゃんが飛び入り参加。アフリカが大好きで、今ベナンでホームスティをしているそうで、ブログを見てメッセージをくれました!
ゆきちゃんが合流し、4人でお昼ご飯。こちらもベナン名物のイニャンピレ。

作り方の詳細はコチラをどうぞ。
ゆきちゃんと父が一番食べてましたね~w
そして、次に訪れたのが、ボイコンにある地下住居。
なんでも戦時中に身を隠すために、地下住居で生活していた人たちがいたらしいです。
中に入ると、かなり広い。この中には、ベッドルーム、サロン、水汲み場、トイレまであって、多い時は20人以上で生活していたそうです。


そして、やってきましたベナンの世界文化遺産、アボメー王宮跡。
フランスの植民地が始まるまで、この地方をまとめていたアボメー王国。当時に建立された王宮跡や博物館を見学できます。近くには記念碑もあります。


王宮内は写真撮影禁止。フランス語でガイドしてくれて、アボメー王国の歴史や、当時の調理器具や王様が使用していたものなどが展示してあります。
フランス語が難しすぎて、ほとんど通訳できず。。。両親とゆきちゃんには申し訳ない気持ちで一杯でした。。
唯一理解できた&驚いたのが、『当時の王様は300人の妻がいて、王様がなくなったとき、100人の妻が一緒に逝くことを希望して、実際に40人が選抜されて亡くなった』という話。
すごいですよね。。。
この日の夕食はホテルの方に教えてもらったレストラン。

ここでは、お酒も手伝ってかいろんな話ができました。特に両親に自分の想いを聞いてもらいました。
なぜアフリカなのか?なぜビジネスなのか?そして、将来設計まで。実はこうなるだろうと、ちゃんと予習してましたw 少し前から、自分が伝えたいをポイントを書きだしてw
というのも今回の旅行は、もちろん両親にアフリカを自分自身の目で見てもらいたい、体感してもらいたい、ということもありましたが、その上でここで私が何をしたいのかを伝える機会にしようと考えていました。
その時に両親に伝えた想いはこんなかんじ。
- 日本という国に生まれ何不自由なく生きてきたが、自分とは全く違う環境の中で生きている人たちがいることを知り、自分でも何か貢献したいと思い、大学院まで行って開発学を学んだこと
- そして、この地アフリカで、みんながみんな志を持ち、その志のために生きていけるような世界になるよう貢献したいこと
- アフリカで生活していることが楽しい、ということ。国際協力系の仕事に就いている大半の方に、上記のような想いがあると思いますが、この”楽しい”という感覚が自分の中では同じくらい大事
- 援助が生む上下関係ではなく、彼らと対等の立場で、いろんな方向から彼らと関わることができるビジネスで貢献したい
- ボランティア活動が終わったら、もう一度アフリカに戻ってきて、自分の会社を立ち上げる
- ただ、自分自身の家族や子育て、自分と将来の奥さんの両親のことも考えて、40才になったら、日本に活動の拠点を置く
こういった想いを両親に伝えました。途中、いいパス出してくれたゆきちゃんにも感謝ですw
この夜も最高の夜でした。
いつでも応援してくる父。
心配と言いながらも最後は必ずサポートしてくれる母。
自分勝手に生きてきましたが、そうできたのもこの両親のおかげ。
自分の想いを伝えられて、すっきりほっこりした気持ちでホテルに帰りました。。。
5日目夜
ホテルに戻った私たちは、もう少し飲もうということで、両親の部屋に集合。昨日農家グループにもらったベナンのお酒で、ちびちびやりました。夜も遅いのに、ここでもゆきちゃんは付き合ってくれました。ほんとにいい子ですw
そんな中、父が学生時代の話をしてくれました。大学生時代、地理学科専攻だった父は、地方を訪れては地元の青年団といっしょによくお酒を飲んでいたそうです。
私は父の昔話を聞くのが大好きで、最近酔っぱらうとよくしてくれます。青年団という言葉になじみがなくて、後でググりましたw
青年団とは・・青年の生活を基礎にして結びついた青年の地域集団。社会教育関係団体でもある。前身は,日本の村落に近世以来存在していた若者組,娘組である。これらは,祭礼や消防,農作業の管理,婚姻の統制など,村落の共同体機能を担いながら,青年を一人前に育てる役割をもっていた。
昨日の農家グループの青年たちとの飲み会がその時の雰囲気に似ていて、昔を思い出したそうです。
私たち世代はあまり感じないことですが、父親世代が途上国に来ると『日本も昔そうだったよな~』と感じることが多いんだろうなと思いながら聞いてました。
6日目(最終日)
前日の飲み過ぎが原因で二日酔いで、少し寝坊してしまいましたが、全員合流。
母から「普段食べている食事を見たい」、「昨日の農家グループの畑を見たい」と言うリクエストがあったので、コトヌーに戻るという予定を変更して、もう一度任地のコヴェに戻ることに。
まずは、私がよく食べているベナン食屋台へ。私が20軒以上食べ歩いた中で、一番おいしいと思った屋台なので、みんなからも好評でした。
普段食べている食事はこの記事でご覧いただけます。この記事で第1位のお店です。
ここで遅めの朝食。
そして、獣道のような道を通って、畑へ。タクシーの運ちゃんも文句ひとつ言わずに、畑をいっしょに見学していました。ベナン人のこういうところ好きw
メンバーみんなで、畑を見学。父はキュウリももらってました。
そして、お決まりの全員で写真撮影。

メンバーの中にはゆきちゃんにアプローチするやつも!おいっ!w (彼にはフィアンセがいます!しかも目の前にw)

そして、コトヌーに戻って、お土産屋さんや昼食を済ませ、この日メインだった『たけし日本語学校』へ。
授業開始前でしたが、そこにいた生徒とお話しできることに。自己紹介をして、質問タイムでした。

生徒たちの日本語レベルに驚いたのもあったのですが、何といっても石田先生のお言葉が印象に残りました。ただ日本語を教えるだけではなく、日本とベナン、そしてベナン人の将来を本気で考えていて、久しぶりに本気で生きている人にあった気がしました。

その先生のお言葉には、私自身、『自分がなぜここにいるのか?自分の志は何で、そのために時間を使えているのか?』そんなことを考えさせられる熱意がありました。

授業開始時間も過ぎているにもかかわらず、帰り際には外までお見送りまでしていただきました。生徒の皆さん、石田先生に心から感謝です。
楽しかった旅行もここで終わり。最後バタバタしてしまって、空港で写真撮り忘れたのが、心残りですが、はるばる日本から来てくれた両親に改めて感謝。ゆきちゃんもありがとう☆
みなさまもよかったら是非ベナンに遊びに来てください!w 全力でご案内しますよ~w
(こんなことがなければ一生来ないかもしれませんよ~w)
ではまた~☆
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綿貫大地
1983年生まれ。千葉県成田市出身。
大学在学中にザンビアで半年間ボランティアをするNGOのプログラムに参加。
埼玉大学経済学部卒業後、サセックス大学開発学研究所(IDS)で開発学修士号取得。
大手商用車メーカーにて3年半勤務したのち、大阪の化学メーカーに2年半勤務。
2017年10月から2019年9月まで西アフリカのベナンで、青年海外協力隊隊員として活動。
JICA SHEPプロジェクトを用い、野菜農家グループの収入向上に貢献。
2019年10月からベナンの飲食店経営に従事し、現在はベナンの農業関連会社の起業準備中。
”だれもが志を持って生ける世界の創造”というビジョンを胸に日々活動中。
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